ほんとうに画家を夢見ていたという若き日のアドルフ・ヒトラーを題材にした作品。
本作でのヒトラー(ノア・テイラー)は、あらゆる点にコンプレックスを抱く青白き青年として設定されています。人一倍の自負心を秘めているのに、自分に自信を持つことができないため、ヒトラーは常に虚勢を張っており、そのことでからくも自分を支えようとしています。ときに必要以上に攻撃的になったり、周りの状況お構いなしにしゃべり続けたりするので、当然、他者とまともなコミュニケーションは取れず、変わった男、気色悪い男としか見られず孤独です。
ふとしたことがきっかけで、マックス・ロスマン(ジョン・キューザック)というユダヤ人画商とヒトラーは知り合います。ロスマンは前の戦争(第1次大戦)で右腕を失った男で、ヒトラー同様、画家になる夢を持っていました。ロスマンは、ヒトラーを援助します。画家を目指しつつも突き抜けられないヒトラーの姿に、腕をなくしたため画家になれなかった自分を重ね合わせたということのようです。しかし、ロスマンから「新作を描け」と励まされても、なかなか描けないヒトラー。鬱屈ばかりが溜まるところに、偶然、ヒトラーは国家社会主義労働党の演説の代役を引き受けることに。溜まっていた鬱屈をぶつけるようにしたヒトラーの反ユダヤの演説は聴衆を魅了します。ほんとうは画家になりたいのにうまく描けない一方、その代償行為で人々に支持され、受け入れられてゆくヒトラー。歴史の大きな歯車が動いていきます。
のちの独裁者ヒトラーを生んだ背景には、もしかしたら、ほんとうにこういう事情があったのかもしれないと思わせる面白い着想です。ノア・テイラーのちょっと狂気をはらんだヒトラーぶりも熱演だし、ヒトラーの性格や精神の設定も、よく練られていると思いました。しかしながら、もう一つ、見る者の心に食い込んでくる何かが足りない。頑張ってつくられているとは思うのに、イマイチ、見応えが物足りないのです。それは、何なんすかね?
一つには軸となるストーリーが不鮮明ということがあるように思います。ヒトラーの様子や行動のパーツバーツはよく描かれているのに、全体を貫くストーリーが希薄なため、盛り上がりに欠けるのです。断片のシーンが連続していくだけとまでいうと酷かもしれませんが、一つの川の流れのようなドラマ性がないゆえ、印象が強まらない気がします。
この点について、ラスト近くになって、ロスマンがヒトラーの個展を開いてやる気になり、その打ち合わせをする約束になっていた日、ヒトラーの演説に感化された暴漢によってロスマンが襲われ、ヒトラーの個展開催→画家としてのデビューが消滅してしまう(つまり、ヒトラーは自分のせいで、画家としての自分の未来を失った)というくだりを全体ストーリーの骨格にすればよかったのに、と思いました。また、ヒトラーは演説では反ユダヤを高々と唱えている一方、ユダヤ人のロスマンに頼りきっていて、演説で語っている中身は実は空虚なものだったという暗示もなされていて興味深いわけですが、それも、もうちょっと明確に示してもよかったのではないかと。
それから、終始気になったのがジョン・キューザックの演技で、「巧みに演じている」とは思わせるのですが、逆にいえば、どこまでも「演じている」という感じが拭えません(私には)。もっと質の高い演技とは、「演じている」ことさえ見る者に忘れさせるものだと考えますから、そういう観点からすると、キューザックの演技は演技を意識させるところがネックと見えました。いい役者だと思うけれど、彼がいま一つ大成できていない原因のようにも思われました。
ところで、原題は「MAX」で、マックス・ロスマンの映画ということのようですが、「アドルフの画集」という邦題のほうがいいですね。そしてむしろ、「アドルフの画集」という題に即した内容で筋を通していたら、もっと強い作品になっていたように思われ、ちょっと惜しい気がする一作です。
(08.7.1)
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