善き人のためのソナタ

監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

2006年・ドイツ



★★★☆

 

旧東ドイツを舞台にした作品です。アカデミー最優秀外国語映画賞を受賞していて、世評に高い作品なので見てみました。旧東独では敵性分子と見なされた人間は、行動の一部始終が秘密警察シュタージによって監視されたといわれますが、本作は、その監視体制がもたらした一つのドラマを描きます。


シュタージの優秀で冷酷な大尉ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は、反体制の疑いがある劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)を監視することになります。ドライマンの家中に盗聴器を仕掛け、24時間、ドライマンの暮らしぶりを調べます。


ドライマンには女優のクリスタ(マルティナ・ゲデック)という同棲する恋人がいます。ドライマンとクリスタの生活は愛に満ち、温もりのあるものです。その様子を克明に見つめ(聞き?)続けるヴィースラー。ヴィースラーは、これまで母国の社会主義体制を信じて疑っていませんでしたが、ドライマンたちの暮らしに触れ、同時に国の上層部の腐敗ぶりを目の当たりにして、ヴィースラーの心には少しずつ変化が生じていきます――。


主人公が盗聴という特殊な行為をひたすら続けていくなかで物語が進行するというシチュエーション設定の面白さがあります。『善き人のためのソナタ』という邦題から、もっと音楽をモチーフとした映画かと予断を持ってしまっていましたが、必ずしもそうではありませんでした。文言としては『善き人のためのソナタ』というタイトルはいいと思いますが、内容とは少し違っていて、邦題の付け方は難しいなと感じます。ちなみに原題は『The Lives of Others』で、直訳すると『他人の生活』です。


説明的なセリフは一切なく、事実だけが淡々と積み重ねられていくのは好感を抱きました(ただ、淡々としすぎていて、見る者にドラマ性が伝わりにくい面もあるようにも思えましたが)。このあたり、説明過剰な昨今の日本の映画やドラマは一考してほしいところです。


ヴィースラーは人間の幸福には国家社会主義という「体制」が必要なのだと信奉してきたわけですが、この盗聴任務を通して、ほんとうにそうなのか疑問を持つようになり、最初は軽薄な芸術家としか見ていなかったドライマンに人間的な共感さえ抱くようになります。人間の幸福あるいは値打ちは「体制」によってではなく、「人間」そのもののあり方がもたらすという映画の中核となるテーマが観客に暗黙裡に、しかし、明確に示されます。


仰々しくなく、静かに物語が紡がれていくテイストは私好みで、内容的にも共感できる佳作だとは思ったのですが、他方、世評でいうほどなの名作なのかな?という気持ちも正直残りました。どうしてかなと顧みると、伝えようとしているテーマ自体は共感できるのですが、ストーリーや設定がややステレオタイプなんですよね。旧東独内部の理想からはかけ離れた様子を、いかにも“悪”といわんばかりに描いてみたりとか、ドライマンたちのどこまでも“善人”ぶりとか、そういったちょっと単純な勧善懲悪的構図が作品に深みを欠く原因になっているように思います。


また、この映画が現在のドイツでつくられ、ドイツの“西化”が“よかったこと”としてわりとはっきりと描かれているのもちょっと引っかかりました。これは、(西側という)「体制」をよしとする図式そのものは、じつは、かつての東独でのありさまと本質的な違いはないのではないのか、という気がしてくるわけです。「体制」よりも「人間」がほんとうは問われると伝えようとしている本作自体が、少々「体制」に引っ張られている感じがしました。


監督は、この映画をつくるために、実際にシュタージで働いていた人たちに話を聞くなど徹底した調査をしたそうです。それが映画にリアリティを付与しているものと思われます。が、その点でも、ほんとうのシュタージは、もっとえげつなかったのでは、とも感じました。


私のような偏屈は、上記のような細部のいま一つの深みの足りなさや、作品全体の“口当たりのよさ”に、一種のウソ臭さを感じ取ってしまった次第です。監督は(撮影した時点で)弱冠33歳だったそうですが、“若さ”が出ているということでしょうか? とはいえ、基本的にはいい映画だったとは思いますよ(^^;;)。


それにしても、なぜかシネマミシュランを始めてから、ドイツ絡みの映画が多い……??

(08.7.17)